こんにちは、SHIMAちゃんです。
本日は、久しぶりに建築家の名言をご紹介いたします。
1934年3月30日 – 2014年4月24日
現代オーストリアの代表的建築家の一人。ウィーン生まれ。
1967年から1976年までデュッセルドルフ美術アカデミー教授、1976年からウィーン応用美術大学教授を務めた。その他各国の客員教授を歴任した。数々の展覧会を開く他、1965年から1970年までは、ウィーンの建築雑誌バウの編集長でもあった。
1966年、レイノルズ記念賞、1985年、プリツカー賞等、多数の賞を受けている。
主な作品に、シュテファン広場に面したハース・ハウス(Haashaus)、 「レッティ蝋燭店」(1965年)、「シェリン宝石店」(1974年)、「オーストリア旅行代理店本店」(1978年〕、「シュリン宝石店2(1982年)、「メンヘンプラトバッハ市立美術館」(1982年)などがある。
すべては建築である。
だれもが建築家なのだ。すべてが建築だ。
建築家は建物のみにかかわる思考を
停止せねばならない。
建築、彫刻、絵画はひとつのものになる。
空間の全体性は、ものによって支配させる。
建築は感じさせるものだ。
・・・建物は完全に情報となる。・・・
建物は、たんに擬態化されるだけのものとなろう。
立方体や角錐や球を用いて建築をつくりだすのは、
人間の偉大な決断力なのであり、
そこからうみだされた建築はプリミティブで、
官能的で、獣的で、おそろしく、力強く支配的であり、
それはまた、もっとも微妙な感情の化身、
もっとも複雑な動揺の感覚的デッサン、
強権の実体化である。
意見、先見、確信の感じられる名言です。
今日は一曲ステキなカバー曲をお送りいたします。
Y.Shimada